●「慈眼寺公園」は流しソーメンのお店?
「ほんとうに公園だろうか」
鹿児島県鹿児島市南部にある渓流「慈眼寺公園」の駐車場に入ろうとしたところ「流しソーメン」のノボリがあまりにも目立つので、近くにでもあるレストランの駐車場ではないだろうかと思ってしまった。
それでもいちおうすすんでみると、慈眼寺公園の案内板があったので、安心した。
まったくややこしい。
三月下旬、平日、午前。
きょうは、鹿児島県鹿児島市南部の市街地に隣接した慈眼寺公園にやってきた。
慈眼寺公園は、鹿児島市街地にありながらまだおとずれたことがないので足を向けてみた。
●どこか山奥にいるような渓流
「ほんとうに五〇万都市鹿児島の市街地に隣接しているのだろうか」
慈眼寺公園の渓流に足を踏み入れたわたしは、思わず心の中で叫んだ。
慈眼寺公園の渓流は、先がみえないほど深い木々におおわれていた。
慈眼寺公園の渓流をおおうモミジの黄緑色の葉が色鮮やかで、あたりは、「キーキー」と野鳥の声がするほど静かだった。
これほどの自然の深さ、静けさが市街地のそばにあるとは思わなかった。
まるでどこか山奥にきているようだった。
慈眼寺公園の渓流沿いの遊歩道を下流へ向け歩くと、渓流はおろか遊歩道にまで巨大な岩があり、この岩の間をすり抜けながら進んでいく。
道は石がゴロゴロとあり、アップダウンがはげしく、川沿いを下っていっているのに、上りにさしかかったりし、本当にこれでいいのかと迷うほど道は険しかった。
途中、慈眼寺公園の渓流には小さいながらも滝があり、渓流に沿った山沿いには大きな岩が露出したところもあり、なかなかみごたえがある。
慈眼寺公園の渓流をほどなく下っていくと、すぐ鹿児島県鹿児島市街地の南部、住宅や商店が密集する谷山地区にでる。
今までが深い木々におおわれた渓流の景色だったので、あらわれた市街地に、あっけにとられる。
●桜の名所、広場へ
「以外と小さいな」
渓流沿いの遊歩道を今度は上流に向け歩くと、桜の名所である広場があらわれた。
ラジオや新聞で、桜の名所と聞きやってきたのだが、そのわりには以外と小さい。
大きさは、テニスコート四面ほどだろうか。
桜の木も数えることが可能なほどで、見わたすと二〇本ほどだった。
慈眼寺公園の渓流が「し」の字に蛇行し、その内側にできた小さな河川敷にできたような広場だった。
ちょうどお昼時ということもあり、慈眼寺公園の桜の木の下は、おじいさん、おばあさんの団体が民謡をうたうなど、もう人でいっぱいだった。
市街地に近いせいかベンチでは弁当をほうばるスーツ姿のサラリーマンの姿もある。
園内の隅では、渓流からのびてきた、もみじの葉のキミドリと、広場の桜のピンクが重なりあうところがあり、晴れた青空のアオとあいまって、なかなかみごたえがあった。
●鹿児島をみて北海道を思い出す
「北の国からの撮影地に似ているなあ」
慈眼寺公園の渓流を登ったところにある歴史資料館「ふるさと考古歴史館」の前につづく並木道を見た途端、一度だけおとずれた北海道、富良野にあるテレビドラマ「北の国から」の撮影地でみた景色がわたしの脳裏によみがえってきた。
手前に花壇があり、その奥に背の高い木が二列につらなり、その真ん中を幅のひろい遊歩道が貫いている。
南国、鹿児島と何の接点もない、しかも八年ほど前に一度だけ行った北海道の景色が浮かぶとは不思議なものだ。
並木道に立つ木の種類、配置が似ていたのだろうか。