●「キャラ立ち」した男になりたい
今日、年末の本棚の整理をしたら、新聞の切り抜き記事が出てきた。
2007年10月10日の読売新聞「キャラ立ち政治家 若者が喝采」という新聞の切り抜き記事。
今年秋に行われた自民党総裁選で麻生太郎氏が自らのことを「キャラが立ちすぎて永田町で評判が悪い」と語った「キャラ立ち」に関する評論解説記事が載っていた。
バンダイキャラクター研究所所長の相原博之氏の評論解説記事である。
この記事を読んで、オレも「キャラ立ち」しないといけないなーと思った。
オレは、自分を抑制した没個性のなにもない男だ。
3年ほど前、会社の飲み会があって、そこで、運良く会社でいいなーと思っている女の子と話す機会があったのだが、話していて、「なんてオレって魅力のない没個性な男なんだ」と宴会後、自己嫌悪を抱きながら帰宅の途についたことがあった。
それ以来、キャラクター立ち、いわゆる、「キャラ立ち」しないといけないなーと思った。
キャラクターがない没個性な男をとってもカッコ悪いと思っている。
しかし、その日以降、(以前も)日々の生活におわれ、「キャラ立ち」どころではなかった。
しかし、そろそろ、「キャラ立ち」しないといけない年頃だ。
日々の生活のせいにしてはいられない。
●オレの理想の「キャラ立ち」した姿とは?
オレの理想の「キャラ立ち」した姿ってどんなだろう?。
考えてみた。
どんなキャラを立たせようかと思うだけで、不思議と、なんだか、色々アイディアが沸いてくる。
オレの場合は、チョイ悪のファッションでキメて、弾き語りもやりーの、サイバートランスの作曲もやりーの、風景写真撮りーので、しかも、しっかり稼いでいるというキャラを立たせたい。
上記、相原博之氏の評論記事によると、「キャラ立ち」の「キャラ」とは、「ユニークで自由奔放な個性を持っており、困難な現状を打破し目的を達成するエネルギーにあふれている」と定義している。
その上で、「キャラ立ち」とは、「ユニークで現状変革的なイメージを強く内包した個性」と定義している。
ただ、好き勝手な自由奔放なだけではダメなのだ。
困難な現状をユニークなアイディアで打破していかないと、キャラ立ちの人間にはなれない。
相当、頭が柔らかくないとだめだ。
自分の理想の「キャラ」とは、今、かけ離れているので、いかにユニークな方法で、理想の「キャラ」を実現させるかが鍵だ。
「キャラ立ち」男をめざそうと思う。
没個性の今までのオレは嫌だ。
かっこ悪い。
男なら、女にもモテたいし。
そのためにも、キャラ立ちな人生をおくるぞ、のんほほい。
●中身も兼ね備えた「キャラ立ち」した男になりたい
でも、相原博之氏の評論記事の最後にもあったけど、小泉純一郎元首相やホリエモンの例をあげ「期待値だけが一人歩きし、実態と大きく乖離してしまう危険性がある」と述べている。
見せかけのカッコよさだけでなく、中身も問われるということだろう。
加藤諦三先生の本に書いてあった他人の受けをねらった「スタンドプレーな人生」を歩むようなことは避けるべきだろう。
しっかりと、中身も兼ね備えた「キャラ立ち」した男になりたい。
●「キャラ立ち」とともに、自分ブランド化も進めたい
中身も兼ね備えた「キャラ立ち」した男になりたい、と思ったら、「キャラ立ちの技術―自分ブランドをつくろう!」という本を見つけた。
おもしろそうな本だ。
「キャラ立ちの技術―自分ブランドをつくろう!」は、長所も短所も「売り」にするキャラ立ちの技術、キャラ立ちのテクニックを解説した本のようだ。
今話題のパーソナル・ブランド、パーソナルブランディング関連の本だ。
最近、自分の購買動機がブランド力が決め手になっていることに気付き、ブランド力の大切さもわかったので、「キャラ立ち」とともに、自分ブランド化を進めたい。
しかし、セラピスト・石井裕之氏の講演CDにもあったが、自分で自分の問題解決力を高める創造的想像力「C.I」(creative imagination)を高めるためには、これ以上、本に頼る訳にもいかない。
自分自身で考えた方が、自分に合った、その本以上の問題解決策、解答がでると思うので、自分ブランド化は本に頼らず、自分の頭で考えようと思う。