●個性的な蒸気機関車が走った北海道最後の私鉄「三菱石炭鉱業」(三菱鉱業大夕張鉄道)を旅してみませんか?
三菱石炭鉱業という鉄道をご存知ですか?
三菱石炭鉱業の鉄道は、北海道は、夕張市にある清水沢駅より、東方へ延びていた鉄道です。
社名からもわかるように、石炭の運搬に活躍した鉄道です。
三菱石炭鉱業はかつては、三菱鉱業大夕張鉄道と呼ばれた時代もありました。
三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)は、国鉄夕張線清水沢から遠幌、南大夕張、明石町、千年町、大夕張、大夕張炭山という駅が並んでいました。
かつて、途中には、「シュ―パロ湖」、「農場前」という変わった名前の駅もありました。
三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)には、9600形のエンジン部にC56タイプのテンダを組み合わせた蒸気機関車など、たくさんの個性的な蒸気機関車が走りました。
三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)は、SLファンには、かなり名の知られた鉄道でした。
最近では、廃墟ブームもあり、大夕張、大夕張炭山駅があった鹿島地区に残る、鉱山施設や住居、商店、事務所などの跡が有名ですよね。
また、廃墟の写真集で有名な、壮大な「三弦橋」も、この三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)の南大夕張駅から出ていた下夕張森林鉄道にあったものなのですよ。
こんな廃墟が見られる、山の谷間に開けた「大夕張」には、かつて、2万人もの人々が住んでいました。なんとも、驚きですよねぇ。
しかし、やがては、この大夕張も、ダム建設により湖の底に沈むそうです。
この「大夕張」を走った三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)は、昭和37年までは、南大夕張~明石町間には、道路がありませんでした。
三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)は、「大夕張」唯一の交通機関として活躍しました。
また、三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)は、映画のロケにも使われました。
松竹映画「塩狩峠」(昭和48年)、松竹映画「皇帝のいない八月」(昭和53年)のロケとしても使われました。
三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)は、映画のロケ地として使われるほど、風光明媚な旅情あふれる鉄道でした。
さらに、この三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)は、昭和50~60年代は、旅客輸送を行うものとしては、北海道で唯一残った私鉄としても有名でした。
昭和50~60年代は、蒸気機関車に変わってDD13タイプのディーゼル機関車が、旧型客車や石炭貨車をひいていました。
しかし、砿業所の合理化により、昭和62年7月に最後に残った清水沢~南大夕張間が廃止・廃線となり、三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)は、過去のものとなりました。
北海道から旅客輸送を行う私鉄が消滅した瞬間でもありました。
この、炭鉱で働く2万人の人々の足となり、個性的な蒸気機関車が活躍し、北海道最後の私鉄となり、現在は廃墟スポットとしても名高い「大夕張」を走った三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)の勇姿を、あなたもご覧になってみませんか。
実は、三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)の誕生から終焉までを豊富な写真と詳細な解説文でつづったものが、「三菱鉱業大夕張鉄道」として一冊の本となっております。
「三菱鉱業大夕張鉄道」をご覧になりますと、豊富な写真と詳細な解説文で、三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)の勇姿がお楽しみになれます。
「三菱鉱業大夕張鉄道」をご覧になりますと、ボールドウィン製の古風なスタイルの蒸気機関車、20m級3軸ボギー車の客車、石炭を積め込む「ポケット」で待機する蒸気機関車、広い構内の大夕張炭山駅、森林鉄道の車輛が休む南大夕張、国鉄と接続した清水沢駅などといった貴重な写真がお楽しみになれます。
また、「三菱鉱業大夕張鉄道」をご覧になりますと、三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)の各駅の概要から、蒸気機関車・ディーゼル機関車・客車・貨車といった車輛に関する歴史までが、本文中に詳しく説明されており、三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)の全貌を知ることができます。
さらに、清水沢、遠幌、南大夕張、明石町、千年町、大夕張、大夕張炭山など、三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)のほぼ全ての駅の構内配線図も掲載されています。
炭鉱鉄道の構内路線図は複雑で、たいへん興味深く、ながめることができます。
さらに、駅開設、車輛の導入・改造などを記したたいへん詳細な略年表が4ページにわたって掲載されており、資料的価値も高い一冊となっています。
その他にも、南大夕張駅から分岐した下森林鉄道の写真、廃止日に走ったDD13タイプのディーセル機関車「DL-55型」によるさよなら列車の写真、三菱石炭鉱業(三菱鉱業大夕張鉄道)に関するエピソードなど「三菱鉱業大夕張鉄道」は内容が盛りだくさんです。
このように、「三菱鉱業大夕張鉄道」には、話題や写真が満載です。
興味のある方は、この「三菱鉱業大夕張鉄道」をぜひ、読んでみてください。